孤独で満たされない私の毎日。悩みの解決策はあるのか?

自分で自由に選択できる歳になって、ある程度自由に使えるお金があって、自分だけの時間があって、それなりに恵まれているはずなのに、どこか満たされない。

これまで学校や会社のルールに従って「常識」や「体裁」ばかり気にして生きてきた。

基本的に真面目で、特に大きな羽目を外すこともなく、無難な人生を送ってきたと思います。

それでいて、日々、退屈だなぁ。と感じることも少なくありません。

当たり前の幸せが訪れていることに、感謝していない訳じゃない。

ただ、なんだか上手くいかないなぁ。とか、どこか満たされない気持ちがモヤモヤ渦巻く。

満たされない気持ちの正体

日常生活の中で、なんだか満たされないという気持ちが強い。

頭の中で、その原因を探ってみる。

……自分がやりたいことをやっていないから?

じゃあ、私の本当にやりたいことってなんだ。

答えの出ない自問自答を繰り返していても、余計に深みにはまるだけ。

自分から動いていないのに、退屈な日常から抜け出せるはずがない。

頭ではそう思っているのに、具体的にどう動いて良いのか分からない。

学校とか、会社とか。
決められた範囲の中だけじゃなくて、人間として大事なことは、外の世界にあるんだよなぁ。と、いつも思います。

退屈な日常に飽きて、刺激的な体験を求めているのかもしれません。

自分の思いもよらなかった出来事に遭遇することこそが刺激に繋がります。

インプットを増やすと、ふとインスピレーションが湧いてくる時がある。

本を読んだり、映画を観たり、色んな人と関わったり。

私は「やりたいことなんてない」と昔から言い続けているけれど、やりたいことがなければ自分の心が赴くまま、試行錯誤しながら探してみるしかないのだと思う。

その「やりたいこと」を探す過程で、新しい発見や気付きがあったりすることも多い。

生活を整えるための私のルーティン

毎日の生活を整えるためのルーティンを繰り返す生活にも、なんだか飽きてしまった感さえあります。

朝起きて、白湯を飲んで、ストレッチをしたり、動画を見ながらヨガを行なって、PCを立ち上げてブログを書いて、空腹だったら朝食を摂って、掃除をして、出勤時間になったら支度をして、電車に乗り込む。

職場へ着くと、休憩時間も含めて9時間の拘束。

今日も一日、早く業務が終わらないかなぁ。と思いながら、時間が経過するのを待ち遠しにしている。

休憩時間になったら、いつものお弁当を食べて、スマホでドラマの見逃し配信を観て、無難に過ごす。

ようやく仕事が終わったら、近くの本屋へ寄ったり、買い物して帰宅する。

夜は極力食べないようにしている代わりに、お腹を満たすために豆乳を飲んで、動画を観ながらお風呂に入って、念入りに歯磨きをして、脚のリンパマッサージをして、ストレッチをして、基本的に夜更かしはせずに寝る。

なんだか、こんな日常が当たり前の光景になって「退屈」が押し寄せてくる。

ここまで書いてみて分かったことは、生きていて、私には楽しみがないのかもしれない(暗い)

人生の余白

無駄な飲み会、疲弊する人間関係、不必要な習慣。

やめる、手放す、捨てる、持たない。

あらゆるもの・ことを簡素化(シンプル)させて、人生を充実させよう!みたいな慣習が目立つ中で、何か新しいことをずっと探しているあたり、私は見事に世間とは逆行していっていると自分でも思う。

現代人は何かと時間に追われていたり、ストレスを抱えて生きているからこそ、このような言葉が溢れているのだと思います。

そもそも、仕事に追われて忙しいビジネスマンやキャリアウーマンへ向けたキャッチフレーズだと勝手に思っているので、何の責任も持たない身分の今の私には、なんだかしっくり来ない。

自分が不快だと感じる環境や習慣、嫌な仕事、煩わしい人間関係。

私の場合、何の抵抗もなく手放し過ぎて、空虚感さえ感じる。

大袈裟に言うと、何も残っていない。

現実から逃避することを選び続けて、これまで生きてきた結果。

居心地が悪い場所から抜け出して、解放されたはずなのに「やることがない」と感じている以上、なんだか私の心が満たされない。

転職するかどうか迷っている仕事

ろくに休憩も出来ないほど忙しいのが嫌だった私は、職場を転身しました。

良い意味でラク、悪い意味で退屈な仕事に就いてから、落ち着いた生活を送っている。

やるべきこと(タスク)に追われる業務とは違って、何事もなく終わる日が圧倒的に多い。

定時で帰ることが出来て、プライベートの時間もあって、これが普通なんだ。と思えるような日常を送っています。

ある意味、これで良いと言えるのかもしれないけれど、自分の中で「このままで良いのか?」という疑念が生じている時点で、良い訳がないとは思っている。

恵まれているはずなのに、”快適”とは、また違う。

なんだか気持ちが満たされない。

日常生活の中で足りないもの

削ぎ落とすと、余白があり過ぎて、私が日常生活の中で足りないと感じるもの。

例えば、人との関わり。

一人暮らしの生活、必要以上に人と関わらなくても済んでしまう職場。

たまに会う友人も、中学や高校時代の頃からの親しんだ間柄が多く、昔から人付き合いが変わらない。

交友関係を広げたい一方で、自分と合わない人や、嫌な人とは関わりたくない。という気持ちの方が勝つ(人間なのだから自分と合わない人は一定いる)。

友人しかり、恋人しかり。

決して誰でも良い訳じゃないじゃないですか。

ただ信頼できる人との関係を築きたいだけで。

学校に行っていた頃は、友人と毎日顔を合わせたり、アルバイトへ行ったり。

何気ないことだけれど、人と関わると全て自分の想定内にはいかないから、良い意味で刺激になる。

それが大人になって、自ら動かなきゃ本当に何もないんだなというのを実感している。

日常において、何もない。

刺激も、変化もない。

本当に「無」という感じ。

基本的に人と群れるのが嫌いで、必要以上に他人と関わりたくないと思っているからなのかもしれない。

一人で居ると、すべて自分の想定内で完結してしまう。

人間は楽な方へと流されやすいから、それを無意識に自分で選んでいるのかもしれないけれど、私はきっと必要以上に人を遮断し過ぎる傾向にある。

思うに、いつもの自分だけの世界に慣れ過ぎていて、外部からの刺激が極端に少な過ぎるのだと思います。

あまりにも処理できないほどの刺激が多くても過度なストレスになるけれど、自分の中でバランスが崩れると精神が保てなくなる。

安全な領域コンフォートゾーン

いわゆる、コンフォートゾーン。

コンフォートゾーンの定義は、いつもの日常、変わらないルーティンの中で親しみやすい、安全で居心地の良い場所。

一方で、退屈だったり、成長できない。

一歩、外側にあるのが、ラーニングゾーン(ストレッチゾーン)。

未知の領域で、不安やストレスは感じるものの、程良い緊張感を持つことは大事。

いつもより早く仕事を終わらせることができたり、パフォーマンスの向上にも繋がる。

度を超えるとパニックゾーンに陥り、処理し切れないパニック状態になってしまうというもの。

少し背伸びできる状態を自らつくること、今いる世界を抜け出して飛び込むこと。

新しい風を取り込むことによって、人間として成長できるのだと思います。

いつもと変わらない日常、変わらない景色。

自分からアクションを起こさなければ、何も変わることのない場所から抜け出せずにいる。

その方が楽だから私は自然とそちらを選んでしまうのだけれど、誰かと繋がって会話をしたり、反応が返ってくることによって自分とは違う答えを知れたり、時には対立するからこそ気持ちが動いたりして人生も面白くなるのだと思う。

身近に存在するネットの世界

これだけネットが発達して、SNS上で簡単に誰もが閲覧できる時代だからこそ、リアルで起こっていることこそが全てだなぁ、と感じる。

世の中の全てで起こっていることがSNSに反映されている訳じゃないし、一部の切り取られた場面を見て、歪んだ解釈をすることだってある。

仕事でも、オンライン上での関係で済んでしまうと、どうしても希薄になってしまう感じはある。

そこまで深く関わらなくても良い関係性ならそれで事足りるのかもしれないけれど、人として信頼関係を築き上げたいのなら、やっぱり顔を突き合わせて会話しないと得られない空気感だってある。

ネット上で自分と気の合う人を探して簡単に見つかったら苦労なんてしないし、あらゆる人間の悩みがこの世から消えることもない。

少なくとも、好きなことをしていたら、なんだか相性が合わなくてもガッカリしないし、自然と気が合う人と会える確率は高くなると勝手に思っています。

とにかく、自分で考えて行動したこそがすべてだし、結果として、それが自分の財産となると思っています。

頭の中でモヤモヤと考えていても、ぐるぐると同じ思考が巡るだけで、答えは出ない。

少しずつ、自分で変えていくしかない。